沈黙について

昨年末、身内に不幸があったため、今年の正月はどこにも行きませんでした。

 

元日から「時間があるなあ、何しようかな。外を出歩くと疲れるしなあ」と家の中をふらふら歩いていたら、おととし買ってそのままになっていた文庫本が3冊見つかりました。

 

「たしか新潮文庫の100冊から選んだんだよな。ちょうどいいや、これ読もう」ということで順番に読み進めることにしました。

 

その3冊とは、「沈黙(遠藤周作)」「金閣寺三島由紀夫)」「雪国(川端康成)」です。

 

今日はそのうち「沈黙」について少し書いてみることにします。

 

 

そもそも何の話なのか知りませんし、遠藤周作の作風自体まったく予備知識もありません。

 

ただ浪人しているとき、予備校冬期講習で現代文の堀木先生という方が「遠藤周作は、狐狸庵ものではなく、沈黙をこそ読むべきです」とおっしゃっていたのを覚えています。

 

「なんだろう、原爆かなんかのはなしかなあ」なんて思いながら講義を聴いていたのですが、もう入試直前だったこともあり、その時は読みませんでした。

 

今回読み始めてみると「隠れキリシタン?」という印象の出だしでした。ネットでも調べてみたのですが、遠藤周作キリスト教をベースにしたヘビーな作品を3年に1回位バシバシ世に出してきた方のようでした。

 

また参考までにですが、先ほど堀木先生の言葉の中に出た「狐狸庵もの」というのは、遠藤周作のもう一つの側面であるユーモアあふれるエッセイ群のことのようでした。

 

 

さて「沈黙」ですが、話の筋としてざっとこんな感じです。

 

フランシスコ・ザビエル以来、日本には何人もの外国人宣教師が入国し、キリスト教が浸透しつつあったのですが、島原の乱などにより危険な宗教とみなされ、家光らの時代の禁教、そして弾圧の対象となりました。

 

その中で初期に来日した宣教師にフェレイラという人がいたのですが、この人は教団内での地位も高く、母国では多くの弟子を持っていました。

 

しかし、そのフェレイラが幕府の方針転換による厳しい拷問の末「棄教(※信者であることもやめ、当然布教活動も行わないこと)」したといううわさが母国に伝わってきます。

 

直弟子たち特にロドリゴとガルベは「そんなはずはない」と、このうわさを確かめるために危険を冒して日本入国を決意します。

 

そして...。

 

 

全体のストーリーというか筋としては単純な方なのかもしれませんが、ここからは読み進むにつれて主人公・ロドリゴに降りかかるものすごい葛藤が、これでもかこれでもかと描かれてゆきます。

 

そして、そのジレンマの中に、この本の題名である「沈黙」とは一体何なのか、そしてなぜ沈黙なのかが、何度も何度も登場します。

 

 

1日の昼ごろから読み始め、2日の昼ごろ読み終わったのですが、初日の晩は読み疲れで体はぐったりするものの、頭の興奮が収まらず、すぐに寝付けませんでした。

 

先に上げた残りの2冊もこのあと読んだのですがが、これを機に遠藤周作の他作品も読んでみたくなり、「海と毒薬」「深い河」を買って読みました。

 

どれも読みごたえがあります。

 

まだ読んでいませんが「私の棄てた女」「侍」「イエスの生涯」などまだまだ遠藤作品はあるので、段々と読み進めてゆきたいと思っております。

 

 

 

さてそしてもちろん「沈黙」を読むまで知らなかったのですが、読み終わってからNETでいろいろ検索していたところ、この1月、2月にこれの映画(※名前は「沈黙ーサイレンス」)が上映されることになっていたのでした。

 

偶然も偶然でしたが、何とか1回だけ足を運ぶことができました。

 

2月の上旬で上映終了となってしまったので、どこかでもう1回見られなければビデオ化を待つしかないのが唯一残念なことです。

 

これはハリウッド映画で、監督はマーティン・スコセッシ、全編英語(字幕)なのですが日本からも、浅野忠信窪塚洋介イッセー尾形小松菜奈ほかが出演し、それぞれいい味を出していました。

 

台湾で撮影したのだそうですが、作品は比較的原作に沿って作られている印象で、細かい部分までとてもよく出来ていると思いました。

 

ただ上映時間を3時間以内に収めたいという方針(※作品は161分)の上で構成されたそうで、原作にある「これでもか、これでもか」という葛藤部分は便宜上さらっとまとめている気がしました。

 

もし時間制限を5時間とか10時間までなどとしたら、ぐったりして席から立ち上がれないようなものが出来上がったかも知れません。

 

 

ということで、今日は遠藤周作「沈黙」についてのご案内いたしました。